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「かせだ荘シンポジウムしましょうよ」 かつらぎ町に申し入れ

西岡虎之助遺品の出張展を打診されていたかつらぎ町教育委員会に逆提案しました。
大学としては<西岡虎之助の和大入学100周年記念>
町としては<かせだ荘遺跡発見15周年>となる現地シンポジウム。
私がコーディネーターをして、町学芸員の和田大作氏、笠田高校の小竹教諭(ないし山口康平和大附中教諭)、地元の長老(窪の植野さんあたり?)、和大の現地調査責任者林晃平君(4回生)、かつらぎ町史の若手キーパースン前田正明氏あたりをパネラーとして、県外に世界に紀州文化を発信して歴史教育と観光行政の改革を促すという仕掛けを提案。いま下村先生の預かりとして協議に入ってくれているはず。すでに教育委員会および町長秘書室からは、15年前の聞き取り調査者の追跡調査や、窪・萩原・背山地区へのフィールドミュージアム地図一斉配布など、町史時代にはできなかった密接な研究教育連携が実現しています。これも真の意味での保存運動15年の成果と思います。シンポジウムのひとつの狙いには、広報不足のかつらぎ町史通史編(小山靖憲遺作)とわが『紀伊国かせ田荘』の販売促進があります(あくまで副次的な目的です
11人の中世史研究者が発起人になって全国学界あげて取り組んだ1996年笠田荘の保存運動(うち永原・小山・石井・佐藤はすでに故人)。和歌山の歴史学のレベルを抜本的に改革したのは論をまたないけれど、いま15年の時をへて「故郷の本丸」に何をもたらすか。当時最前線にいた関係者7人衆で編み上げた『紀伊国かせだ荘』から提案したい。これから根来をになう人々の参考にもなることだろう。

「かせだ荘の調査」論争 1997年

私たちの新著『紀伊国かせ田荘』同成社を買ってくれた方(図書館で借りた方も)、154ページをご覧いただきたい。現在の伊都浄化センターの敷地に田畑をもっていた地権者たち61人衆の一覧(一部文覚井関係者)で大正・昭和ひと桁生まれが大半である。1997年夏、全国的な保存運動が高まり、県教委はかせ田遺跡の調査指導委員会を立ち上げた(和歌山で初めてのこと)。指揮にあたった私は、「すべての地権者に接触する」を旗印に関東の荘園研究の手練の衆を組織した(EX高木氏は海老澤班長の指揮下で文覚井班,というように超豪華スタッフ)。これには当時から批判が強かった。曰く文献調査が先ではないか、聞き取りは非科学的だ、文覚井を優先せよ云々。馬鹿かと思ったが適当に低頭でいなして無視して強行した(赴任の直後だったので郷に入れ)。
昨日教授会が流れた寸暇を利用して現地を訪れて御礼に行った。当時生涯学習係の木村好和氏や熱心な集会参加者だった下村克彦現教育長、孤軍奮闘の学芸員和田大作青年、木村茂光門下の小竹(しのう)笠田高校地歴教諭、宝来山神社森宮司若宮司…。そして、集落に分け入って61人衆を探した。すると、予想したことだが半数以上の方にはお会いすることが叶わなかった。物故者の方は末尾の表の通り、施設に入られている方、お話を出来ない方も合わせるなら、15年前に我々を導いてくださった窪・萩原地区の方々のうち実に7割強の数に上る(その他の字についても木村氏、下村氏に調査依頼中。おそらく同様だろう)。トコミズサンゴウ慣行や、文覚井は3本セットで機能すること、など穴伏川灌漑水利システムの発見に導いてくれた数々の証言者たちはこの世に居ない。もし私たちが1997年に近世文書や絵図に手をつけて聞き取りを後回しにしていたらかせ田荘の真実は永久に失われていたことだろう。かせ田の著書も意義あるものとして世に問われることは無かったろう。
 だが我々には50本におよぶ聞き取りテープがある。亡くなった方のうち紺の文字の方の声はこのテープの中で生きている。通称と水配りと地質だけの実に淡々とした聞き取りであるが、古文書にも勝る生きた民衆史の史料である。初めての紀州での荘園調査だったため私は慎重な措置をしていた(天野・みなべまでは実施)。音は残らずともすべての聞き取り作業図と野帳は和大が所蔵している(小手先のいい加減な聞き取りや「死人に口なし」といわんばかりの捏造は絶対に許さない)。このときの体験は非難した人たちの発言ともども次号の紀州研紀要に覚書を書いて総括するつもりだ。
 トコミズサンゴウを語った一人の植野芳子さん(大正1生まれ)は昨年なくなったという。子息の嘉紹さん(昭和12生まれ)は「窪で生まれ育った生き字引だった」と回想し、また自らも文覚井のトコミズサンゴウ(モリ池筋)を昨日しっかりと伝えてくれた。いま林ゼミ長中心にカセットテープのデジタル化の作業を科研費使って進めている。せめてこの声の便り を希望されたご遺族にはお分けしたいと思う。
p154補足 物故者2011年6月現在
萩原:中西隆代 子安精憲 米井右雄 原延々(宮阪裕巳区長<当時>と面談)
窪 :山本敏夫 西村喜一 木地勇 前田秀治 前田いよ子 前田昌子 中畑カズヨ 林政春 植野芳子 松下弘
かせだ萩原大福寺共同墓地 石造物調査始原の地

(和歌山で初めて形態編年による悉皆調査をした萩原の共同墓地 北野氏則武氏サポートによる石造物調査 海津ゼミの聖地 以後和大海津ゼミのかかわった石造物調査はすべてこのスタイルを踏襲した。しかしこんな大量無縁に良く手を付けようと思った。若かった。パワーあった。町の審議委員たちによる調査成果は15年前も今も依然として出されてはいない)

御礼 FM西岡虎之助物語 再放送は14日正午1週間分

突然では失敗しますから、今日車の周波数を調節しておくことをお勧めします。FM和歌山、87.7メガヘルツです。絵本の会・松下さんからの情報転載です。

ごぶさたいたしております。
先日は道成寺の御本をありがとうございました。
きのう、エフエムワカヤマで録音いたしましたが、西岡虎之助さんのお話は5月12日(木)の放送となりました。
月から金曜日の朝7時50分からと、土曜日は正午から唱歌をはさんで1時間、火曜日は夜の7時から1時間の再放送があります。
87.7メガヘルツですが、雑音が入り聞きにくいかも知れません。
車ではクリアに入ります。
原稿を見ていたければよかったのですが、和歌山弁ですので書いたものを読むのは和歌山の人でも難しいので、よかったらお聞きください。5月末で「和歌山むかしばなし」も300話になりますので、その後は昨年の4月からの再放送の予定です。
それでは、お元気で。

拝復松下様 おはようございます。
うかがいました。和歌山言葉は格別ですね。
大学の展示にもふれていただきありがとう
ございました。5分間でこれだけの情報量を
分かりやすく盛り込むことが出来るというのは
自分の授業のコミュニケーション力考える上で、
かなり刺激受けました。ありがとうございました。
再放送は一週間分を土曜の正午からと、
火曜の夜7時からに各1時間分というわけですね。
今度は録音状態のよい複写をしようと思います。

(放送終了後 5/12)
聞いていただき、ありがとうございました。
再放送は、実は先週の土曜日と、先日火曜日の夜にしていました。
次の土曜日は、たぶん来週の放送分と思います。
FMは携帯ラジオのアンテナを窓ぎわに置いて聞くと、よく聞こえます。
6月の第2週から、昨年4月から始めた分の再放送が始まります。
全部で300話しましたので、面白いのもありますよ。

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和歌山大学教育学部海津ゼミ(日本史)のブログです。

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