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畑大介氏と文覚井を歩く 付けたり三つの井

のはんビア敷。最後の晩餐出し忘れた
海津ゼミ「最後の晩餐」グッズ。晩夏の挽歌…

昨晩から和歌山入りしていた山梨「信玄堤」ご一行
西川・畑・田中の帝京大学科研費グループ。
このメンバーの視察ならば、当県としても
最恵国待遇でのぞまなければ後々が怖い。
坂本竜馬学芸員と相談して、国交省や地元の
学芸員にも声掛けして朝9時から現地に集合した。
 畑さんは窪・萩原遺跡(笠田堤防)の調査時には
駆けつけていただいていたから、今どのように
なっているか、伊都浄化センターで「原状」を
お見せして、夢を語った。「水の駅」フィールド
ミュージアムの展示試案も点検していただいた。
 石造堤防のほかに、文覚井や小田井の要所を
ご案内した。崩落した一の井萩原線も復旧成っていた。
あの位置を原状変更したのはやむをえないと思う。
20120615155551.jpg
文覚一の井の源流・上人滝 計算違いか計画設計か
(中世の禅律勢力をなめてもらっちゃ困るぜ??)
111128_0953~02
この崩落はU字溝コンクリ財で復旧してた。
正直かせだ荘なら、なんとか信玄堤博物館にも
対抗可能か(研究レベルの問題はあろうが)。
それにしても、信玄堤パンフはよく出来てた。
彼此の学芸員の「広報力量」の差を痛感した。
国交省氏と「絶対これを凌ぐのつくろうぜ」と
国同士の誓いを立てた(が、私はもう国ではなくて
団体職員におちぶれて居た…)。
120912_1252~01  120912_1251~01  120912_1252~02
昼は笠田駅前の老舗ウエストコーストにて。
こちらの名物店は満員大盛況で一安心。
5人分空けてもらった 窓際の亀の玩具

120912_0851~01
JR笠田駅前には笠田東地区管理の休憩施設が。
中には私のフィールドミュージアム地図旧版が展示中!
120912_0851~03
昨年のシンポジウムはこれにバツティングしてた。
林君を出場させてたらあと50人は来た

それで、畑さんと別れた後、根来寺市立図書館によって
武内涼氏の代参で和田荘の武内スクネ産湯の井と、
大谷元事務長から聞いた小手穂・弘法井戸を訪ねた。
井(湯)の話題で本日最大のものは…。笠田の明暗。
地酒・地ビール・6温泉の「野半の里」の崩壊でした。
月末以来いろいろあって地元世情に疎くてシラナンダ。
私のカードはどうなるの???1996年・保存運動以来
ずーーと通いつめて、ビン詰が缶詰になって大阪資本に
変わっても「まあいいか」と妥協して、史跡地図水の駅
の構成要素として刷り込んでしまった「野半の里」。
笠田駅の待合にあった新版のハイキングマップにも、
基点として記入してあった。かなり悪辣な撤退で、
地元に禍根の尾を曳き訴訟沙汰になりそうな模様だ。
仮に和大がつぶれても野半の里がつぶれる日は来ない
と過信していたのだが…。ともあれ3井問題で、
FM笠田地図からは次刷りで野半の里カットに宝来山
新参道(工事道)カキコ、根来の原型・山東荘地図に
武内井と弘法井をカキコ。私は忘れるから中和さん
チェックしておいて。
120912_1647~02
武内さん、こいつが紀州藩御用達のスクネ産湯でござんすよ。
120912_1616~01
善男善女がひっきりなしにペットボトルで
汲みに来る霊泉、小手穂の「弘法さん」
ガソリンスタンドから一本裏の小道沿いです。

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批判に答える ヒストリア233・坂本亮太書評

絶対名前出さないでくださいよ、と念押しして
取材協力した歴史秘話ヒストリア。根来案内
から帰ってきたらヒストリアの最新号が来てた。
(10月10日NHK放送にご注目。カテゴリ
「根来寺問題」にしたほうがよかったかも)

県博学芸員の坂本亮太氏による『紀伊国かせ田荘』
批判。同氏は、私が県・文化財センターの南部荘
遺跡指導委員会の委員をしたときに、荘園調査を
主導した責任者で、「大井用水」の開削主体・時期
から検注主体(坂本氏は地頭三浦検注説!)まで、
ことごとく私と意見が対立して、困り果てた私が
異例の成果報告書(両説併記総括)を刊行した
という愉快な経験がある(『中世再現 1240年の
荘園景観ー南部荘に生きた人びと』中和印刷、
和歌山県立博物館のMUSEUM・SHOPにて販売中)。
このときの体験なしには、『紀伊国KASEDA荘』
は到底編めなかったであろうと感謝(補注)。
 そんな坂本氏から、編者海津に対して、
本書での論争を細かく紐解いていくと、各学問
分野の方法論の限界(守備範囲、立ち位置)と
可能性を見つめ直す良いきっかけにもなろう。
本書で統一的な見解が示されていない点は、
読者にとっては極めて不親切ではあるが、上記
のような読み方をすれば、非常に魅惑的な書とも
なろう
」と、我が意を得たエール?をいただいた。
 「荘園絵図論争への言及が無い」「窪萩原遺跡
というわりに島・河川敷開発論文が無い」「我等
環境歴史学の視座がまるでない」
など(此岸能力)
ないものねだりの数々のご批判を、自己の課題だ
などと皮肉をこめてご指摘(坂本氏は、文覚・
神護寺文書展を企画しているとの風聞どおり、
行間に厳しい批判をこめた検討を)してくれて
実にありがたい。島論文については、高木サマー
ーセミナー報告(現在も未発表?)を是非入れた
かったが、現在の景観保存問題の焦点が京名和
高速道の当たる山側だったため、文覚井など
穴伏川流域水利システムの方を重視した。確かに
おまえの10章なら前田島論文収録すべきだ、
というご批判は甘受したい。
 文覚井の成立時期についても、1185年一の井
のみ成立説(林)、二の井のみ成立説(前田)、
両方成立説(海津)として、わかりやすい図式に
して、坂本説を対置している(当然両方あって
一の井は神護寺、二の井は在地領主という解読。
この坂本論法でいくなら三の井は御正作集中で
神護寺拠点開発に?)。争点をわかりやすく摘出
してバッサリ批判というのも才能だと思って
感嘆した。ただ、海津・林が強調したのはむしろ
那賀郡側の穴伏川用水路の開発のほうであり、
そこが研究史のもう点だったという指摘だった
(穴伏川水系灌漑水利システムのなかの文覚井
と言ってるのはそのためである、原でも元でも
良いのだが)。前田氏も含めて、われら3人共
二の井を従来(木村茂光説や黒田日出男説)の
ように穴伏川水田の用水とは考えておらず、
窪地区用水と考えて立論している。聞取調査
「トコミズサンゴウ」発見以前と以後に研究史は
大きく二分されるのである。従来のVIP
たちとは根本が違うのだ、というあたりを今
少し強調していただきたかった。一応グラビア
図2に穴伏川流域用水群概念図(カラー)や
p114に文覚井(一・二・三ノ井)概念図
を大きく出して、目立たせたつもりなのだが。
 海津・林は1185年文覚井(一二三)はあって
当然で、静川地区の主要耕地は那賀郡側でその
右岸側水路群(原型)もすでにあるのだ、
(近世に至り縮小)と強調していたのである。
林論文が「二の井は未成立」、と論じた事の
意味について、註20(150頁)にわざわざ
詳しく註記してる点をご留意いただきたい。
(窪地区を文書欠損と見る林氏からは二の井の
有無は論じられない、という立場。この註記
自体が、前田説批判である事がいうまでもない)
 あと、文覚伝説も灌漑設備もきのくに荘園
ではなくて神護寺領全体の広い視野で見ろ!

などなどの積極提言、氏の結論は「自己の課題」
として書いてくれてないが、「紀伊国KASEDA」
のために是非、最終報告書に原稿くれないか?
ついでに流出神護寺領文書一覧表も。この夏は、
根来惣国、阿テ河、西岡虎之助、石上露子、
近木川(中世日本国境)に忙殺されていて、
科研報告書のことをすっかり忘れていた…。

サマーセミナー参加者の皆様
ここにきて俄然注目されているKASEDA荘の
地にお越しください。セミナー会場には重いが
数冊から持ってきます(私の持分ですのでどうぞ
みつけて押買狼藉をお願いします)。
さらに
和歌山県立博物館の方々へ、
坂本説が出揃ったところで、常設展示・HP
のKASEDA部分の全面的なリメイクをお願い
したいと思いますがいかがか。とりあえず
坂本説なら(失礼)、全国の中世史研究者も
納得するかと思うのですが。文化財保存行政
の上でも前向きな位置になる。坂本君、三の井
忘れないで。

(補注)
条里に水路に高田土居の論争なので、普通ならば
2桁違いの発掘調査で片が付いたはずだった。
それがここでは解決しなかった。2002報告書の
『中世再現』には、意味のあるデータとしては、
武内雅人氏執筆の試掘確認調査のみしか収録
できなかった。P138~5の図32・33・34
発掘地区一覧はクレジット海津の作図になっている。
文化財センターは自ら南部荘遺跡の全体像を
理解しておらず、やむなく私が代行作成したのだった。
根来寺問題の原型がすでに垣間見られている。
170地点におよぶ根来寺遺跡の一覧を作ったのは
高木徳郎氏の『中世根来の社会史』所収地図・表
が初めてであった。


新宮バスツアー 前夜祭

http://mytown.asahi.com/wakayama/news.php?k_id=31000001202020003
本日の朝日新聞に西岡ツアーのキーパースン
中瀬古友夫氏が写真入でクルーズアップされてる。
私は見過ごしてたが、昨日のY新聞にも出てた。
(タイガースファンなもので無視したわけでないが)
これをみて学内では駆け込みでさらに二人の参加者が。
中和印刷をせきたててt作ったミステリーツアー用
パンフレット1000枚も納品、西岡映画の前編もK2から
編集済みDVDもらってきて出来に感激。自画自賛。
歴史謎解きミステリーツアーの興奮、いよいよ最高潮。
はやく着ければ着けるだけ、新宮市内ガイドが充実。
しかし、この中瀬古氏の新発見は、別に時間を確保
して1泊2日の別企画として予算採りしたい。

いよいよ「西岡謎解きミステリー・バスツアー」週末

西岡の絵心090815この風景を探す。

もと某メジャー旅行会社ヨーロッパ添乗員
という前歴をもつ中瀬古さんと組んだため
無敵の大型バスツアー。
 今日はY新聞新宮支局から同乗希望の連絡が
大学に来たが、4大紙等のマスコミ動員も完璧。
かつらぎの皆さん、中瀬古プロデュースのお昼
1500円セットにはご期待ください(秘密)。
これが最後の興行という海津ゼミ4回生たちの
得意の芸にもご注目を。あと、撮影中の映画の
BGMも採録したい。三谷民謡リクエストだ。
 西岡故郷の後裔と和大生の総勢40人大集合
の謎解きバスツアー、いよいよ2・4早朝出発。
天気予報は曇りのち晴れ。心配は、五新線を勧めて
きた中紀バスの判断か。
ちょっと2・4まで超多忙になりブログいじり
してる暇はなさそうです。
4日夜はおそらくまた帰りたくなくなって、
飲み歩いて一栄旅館を頼って転がり込みます。

かつらぎ町の西岡虎之助展 20日日曜オープン

海津ゼミの3年間の西岡虎之助研究の成果が
故郷のかつらぎ町に「凱旋帰国」する。
59・60期生の有志が燃えて取り組んだ研究、
最終とりまとめはやはり地元の林ゼミ長だった。
これをきっかけに西岡の新しい側面に光があたるか?
私たちが見つけられなかった西岡訓導時代の教え子の
手がかりや、旧かつらぎ町誌編纂の全貌が明らかに
ならないか?(*不思議なことになぜか西岡は和歌山の
仕事をいっさい請けておらず、この旧町誌がほぼ唯一。
不世出の歴史家西岡が郷土で「無名」に埋もれた原因。
西岡にとって故郷とは何であったかという謎について
当時の山根木委員や下村教育長から種々ご教示を得た

 貧しい山林農家の第3子に生まれて師範学校・
小学校教師として苦学した体験が不世出の
「反骨と抵抗の歴史家」を育て、戦後日本の
歴史学と歴史教育を救った。というーー西岡神話。
西岡門下の佐藤和彦に学んだ私には、その真相を
つきとめる義務があるのだろう。

今日は終日27日シンポのレジュメ作りをしていた。
(忘れていて額田さんに執筆要綱コピーいただいた)。
章立て項目のみ大公開 
1 日本一有名な中世の村ー歴史教科書のかせ田荘ー
2 それは西岡虎之助から始まった
3 反骨の歴史家・かつらぎの誇り
4 全国騒然!最古の堤防を掘り出した男たち
5 西岡民衆史の実践ー地域住民と歴史を書く
6 中世再現 すがたをあらわした荘
7 かせだの未来ーフィールドミュージアム水の駅
さらにゼミ生に急遽付録を執筆依頼
付録1 「一の井はいつできたか」(林晃平)
付録2 「紙芝居<文覚ー中世を切り拓いた男ー>シナリオ」
(脇田剛毅 君の半端仕事のおかげでまた徹夜だ…)
111118_0736~01 27日は大画面カラーでご披露

請うご期待! 27日にお会いしましょう。
*残念ながら30分ではこの謎には言及できない。
まことに申し訳ないがご関心の方は12/3午後に
和大の岸和田サテライトで行う講演にお越しを。
和田君説得してシンポの終了後に西岡展示を再度
開けてご案内しようとは思うのだが。


林君が明治期の古文書からトコミズサンゴウ慣行の
記述を発見した。植野嘉紹さんからお電話があり、
西岡区長に挨拶に行っておいた方が良いとの
サジェッション。明日はレジュメを届けがてら、
この発見を窪の皆さんにお知らせしに行こう。

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和歌山大学教育学部海津ゼミ(日本史)のブログです。

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