fc2ブログ

榎原雅治氏の御新著を斜め読み。

熊野参詣道には宿地名がない、等随所に
示唆が多い『地図で考える中世ー交通と社会』
和歌山市の地震問題についてセカンドオピニオン
御願いしてる榎原氏。
東海地方の交通にからめて小栗=時宗の検討
あるのは非常に示唆的だ。とくに移動のネットに
「薬売り」がキーワードである点が重要か。

という話をもちだすため、わざわざ羽合まで
本を持って行ったので腱鞘炎の危険が。
大橋氏は「連尺大事」にかねてより注目してた由。
連雀は関東人には馴染み深い。
ちゃんと山村は聴いてたか、修験の薬商売。

続きを読む

紀州惣国・負の遺産の極北

フェイスブックにはこう書きこみましたね。
友達オンリーだから20人しか読まないけど。

「どうでした?お人形展。根来寺のインチキ野外遺跡みせられず残念でした(本日オープン)。上行寺とは真逆だ😔
中略
あ。それで忍者y!朝日書評拝読。私の長者の「ばさらな女忍者説」もご検討ください。さすがに口固いな、正忍記の聖地名取の墓案内したのに。」

私たちの遺跡の評価については私の編著
『中世都市根来寺と紀州惣国』同成社を
ご覧ください。それとは180度異なる理解のもとに
野外展示がなされてます。全体の評価が異なる
上に、今回のポイントの地点の意義についての
理解も違う。だからあんな「復元まがい」になる。
巨額の無駄使いとしか言いようがない。たいへんな玩具作ってくれました。
私もう「根来惣国の首都域」には二度と入らないでしょう。
まともな学者たちの案内や授業巡検はやむをえないが。

歴史にいまを読む 礼状

KIMG2703.jpg
「本能寺の変」研究者として今日日露出度高い
稲葉継陽氏の歴史学入門書。地元新聞の
コラムを一書に分類まとめたもので、じつは
こうゆう本はすごく読みにくいの。なぜかというと
私もサンケイ新聞で経験あるのだけど、一つ一つが
短い字数で推敲重ねて思いが凝縮されてるので
こんなの50も並んでたら煮詰まってしまうだろうと。

稲葉様
歴史にいまを読む
良いタイトルですね。最後の二つが新稿でしょうか。
くりーむしちゅーでゼミ生たちが稲葉ゼミに
あこがれていたのは以前お話しした通り。
「僕らもあんなふうに探究学習したい」、
もう7年前か。
連載でない新聞記事は短い中に凝縮された思いありすぎで
ひどく読みにくい。(私も魂売って産経隔週連載
して根来寺問題他やったけど、半年限界だった。
名著『きのくに歴史発見』笑)。同時期に出た新書
『日本史でたどるニッポン』と好対照だったよ。爆笑
さらさらさら~と
同じ感想になってしまうけど、クレムリン講演の
話など読んで、やっぱり歴史学者に囲まれた中で
研究できてるのうらやましい。戸田恵子欲しい。
ということにつきますね。
震災、藤木さん、文書館、光秀みな稲葉氏にして
はじめてできたこととは思いつつも。
あと、いいなあ。池田。ゆるせんよ巨人ファンのくせに。

いまさらきけないご質問
1 なんで皆勝俣さんの本能寺の変(光秀の妹が信長愛人で前年死というの)無視でしょうか、
人物史的にはこれで決まりでは。(本能寺の変何て歴史学上何の意義もないのだ。やってる研究者はいないし、ろくなものじゃない、と言ってきたので稲葉君がスイセイのごとく現れ困った)

註②7年前のくりーむしちゅーの放送 http://wakayamau.blog116.fc2.com/blog-entry-645.html 反省してる、一応は
池田は取材でタイガースエースの池田親興にインタビュー受けて自分が見栄えした、と書いてるくだりがあること。てっきり横浜市出身と思っていたが宮崎市だった。浅香唯といっしょ。

続きを読む

白山平泉寺歴史探遊館まほろば

 1月の研究会で同成社の『根来寺論集』を
御書評をいただいた縁で、勝山市平泉寺遺跡に
お招きいただいた。落成1年余というガイダンス
施設の「歴史探遊館まほろば」は、旧参道菩提林
の中腹、遺跡の中心部分の聖地に立地しており
じつに様々な工夫をこらした味わい深い建物だ。
<霊山に育まれた中世の宗教都市>を体感できる
フィールドミュージアムの展望台…。長年の史跡
整備と保存管理計画事業の英知の賜物なのだろう。
南谷の発掘石畳道には坊院の門壁が復元されている。
http://www.city.katsuyama.fukui.jp/heisenji/mahoroba/
 ミニコンサートも可能というAVホールにて
自前の映画で「紀州根来惣国の首都」を上演
させていただいた、なんという幸せ。そして羨望。
(ここが惣国本拠地だったらなあ、などと)。
この3/21は時ならぬ大雪の日だったのだが、会場の
座席は埋まっており、フィールドミュージアムが
地域に深く根付いているのを実感した*。整備委員会の
もと、学芸員、職員の日常活動の実績なのだろう。
           ★
 平泉寺遺跡の調査整備指導委員会の長は水野正好氏。
今日の委員会でも熱心な議論が交わされているはずだ。
さて、今度は根来の方で、中世最大最強の惣国首都
(ではなくてもよいけど)根来寺フィールドミュージアム
整備に主導力を発揮していただきたい。

平泉寺筆架 140324_1649~01
*この日の講演会参加者に配られた「引き出物」。
平泉寺発掘調査で出土した筆架のレプリカ置物。
まことに至れり尽くせり、平泉寺フィールドミュージアム。
同僚の歓送会で、どうしても日帰りせざるをえず
雪中のFM史跡見学という得難い機会を失ったのは、
まことに残念だった。






追伸 「大永2年の根来惣国徳政を考える」

(1/26条の承前)
識者皆様 海津です
勢長書状、宿老を村落サイドとするのは
全く考えていなかったので蒙を開かれましたが
(旅引付など類例はどうでしょう)、「取合い」
については、参照した九条家文書217号
(泉佐野市史 60号)の「寺家・国取合」
「天下の御取合」はいかがでしょう。
調停と読むのは難しく、
「寺家・宿老の取合い(紛争)に至り」(結果的に
無事になったが)、「然る処…」という被害が
附帯した、というように「然る処」以下を、
時間の経過ではなく、並列する状況説明と
みることも可能と思うのですが。
いずれにしても、根来事件とは無関係だから
和泉国は入らない、と切り捨てるのはやや不審です。
質の異なる史料の示す実態を、関連付けて
とらえる試みはまず重要なのではと。
重ねてご検討をお願いいたします。

とくに急ぎません。むしろどこかで
「大永の根来惣国一揆を考える」
などの研究ノートでも日研の万華鏡
あたりに出していただけると幸です。
発見後もう1年半近くたつのに、
騒いでいるのが和歌山組周辺*のみという
のが困るので、異説や批判は一向に
かまいません。
*ヒストリア240の「太田城水攻めと
豊臣国分」で、藤田達生さんが独自解釈
してくれてます(p86)。感謝!
プロフィール

wakayama.u

Author:wakayama.u
和歌山大学教育学部海津ゼミ(日本史)のブログです。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
リンク
和歌山大学日本史ゼミBBS
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

検索フォーム
カレンダー
10 | 2023/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
QRコード
QR