「太田城水攻め」始末 4.7記念日

桜に吸寄せられたか。雨のバス停にも毛虫が居てた。
太田孝旧蔵文書を4月7日付で紀州研に
移管してもらった。これで和歌山市での
ミッションは終了か。あとは若手の一人者
たちが育ってもう平気だろう。
それにしても、大きく流れを決めたのは、
私組とシス工宇民正研究室の邂逅だろう。
教育学部の理系教員では埒の空かなかった
水攻め検証。宇民さんに頼み込んで再現
実験してもらった。その過程で軽部太蔵さん
の出陣も得た。(まさしく出陣、向陽高校から
タクシー出そうとして断られる。櫻キレイで
歩きたい、と。)シンポジウム*でこの二人
は激怒した。思い付きの似非科学の断罪。
真理をゆがめるものを許さない学者の正義。
私司会していてどうしていいかわからなかった。
額田さんは結託して袋叩き、と思ってるだろうが
そんなことはない、私は(おそらく北野・弓倉も)
理系学者の真摯さに震撼したはずだ。
で、私が宇民さんと出会ったきっかけが
どうしても思い出せない。誰かが媒介して
くれたにちがいないのだが。
今日は太田進也ご夫妻に1970年前半の
太田地区整理区画整理事業の話を聞いていた。おそらく
これがなければ太田城水攻めは今も周知の
景観だったに違いない。紀州研にいただいた
地元絵図を手掛かりにして近世末〜明治初の
太田村の景観を復元しよう。どの授業をつかおうか。
*この向陽高校記念館シンポジウム。6月。
すでに西川明宏君が居て?テレビ中継網を配備、
2階は上村さんの担当だった。『中世終焉』という
ベストセラー書にもなった。紀州研原点かも。
この本、ふざけた書評書いた奴がいて(額田支持)
ぜったいゆるさねえとしばらく各所で息巻いてたが
いま名前思い出せない。どこの雑誌だかさえ忘れた。史学雑誌か

写真 若手の一人者たちの代表の本
といって太田さんに見せて来た。ゼミ室のほうの
私の本をプレゼントしようか。和歌山市民は
一家に一冊惣国に歴史。

太田城士慰霊祭の旗もモダンになったなあと思いきや不動産屋のだった
暴風でたなびく。旗は疾走でたなびかせないと。
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