去年の丑の日には~私はどこに居たんだろ。
2022丑の日


ウナギ食べたさに新宮に行ったのにあらず。
国指定記念シンポ参上。長駆流星号飛ばした。
一泊したのは鹿六のウナ肝で一杯やる為だが。
丑の日なのでウナ肝買って宿で飲もうと思ったら。「上がって上がって」どうぞどうぞに
終りが近いのでウッカリ全九曜紋・裏番の
闇世界コードネーム晒しました。私に詳しい方なら
すべて即時に実名充てられてしまうはず。
「(授業有るから)いかないけどSOSくれれば
車で拾ってあげる」という返信多数。
わかってくれてるなあ、裏社会は。
自分のことで手一杯なので自力救済でヨロシク。
久々の先頭固定ナグサトベ以来

8月4日9時海南駅集合(以下12km徒歩)
・井澤ヤソベエの罪(亀川直線化)
・あるいは神話名草クニ防衛堀歩きともかく中世以前の亀川を歩きます。
おそらく最後の炎天下フィールドに付き
日本史教員裏表に大動員かけました
歩く計画は山神・山口両教員が作成中。
私のゼミ卒業生で来れるものはどうぞ。
詳細教えるから前日までにメールください。
動員済み和大日本史教員 差し障りあるので海津コードネームにて
こうしてみると本当に和大での研究・教育はこうした
日本史仲間との協業だった。
さ。片男波。最後かな。8月はクラゲでそうだ
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見立て事典 第6の項目は、その見立てが
「どの程度普及していたものか?」 流通度。
これは難しいが面白い。
武蔵御家人加治氏が鎌倉幕府滅亡の日付で、
無学祖元の「臨剣偈」をでかでか刻んだ板碑を
建てた(円照寺元弘板碑)。これは丹治の一弱小
武士が、己が幕府を南宋に、新田反逆軍を大元に
見立てたことになる。が問題は⑥。変わった一武士の
思い付きか? 村井章介『増補版東アジアのなかの
日本文化』p176が論じたように、これこそ日本が
アジア文化圏で思考している証、末端関東武士に
至るまで禅宗を介して宋学世界観が浸透している
とみるべきだろう。
むしろ、評価が難しいのは、後醍醐が改元で
洪武帝の再来を自称したり、天皇号で醍醐の世
復活を号令したり、等身大そっくり像を高野山に
作らせたり(愛染堂に現存)。こうゆうのはド派手だが
マスコミのない中世で(カムロ・尺八・天狗だけで)
どのくらい流布してたのか。南北朝の周辺の側近しか
しらなかったような気もするが。
さらに平治物語で悪源太義平が項羽自称した
とかいう物語、一方その死後に天神の再来かと
「人々は恐れおののいた」(同じく平治物語)
見立ての範囲、どのように位置づけるのか?
(平家物語・太平記ならともかく平治か??)
後世に委ねて、⑥にはそのまま書くにとどめたい
字数がかさんだけどここは洞が峠もとい天王山 やむをえない
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名前だけは有名で歴史的イミフだった著書。
わが国最古の漢詩集、文学と暗記させられる。
講談社学術文庫に全訳注本(江口孝夫VER)
収録されたので、意地でも見立てを見つけた。
漢詩というものがどれほど政治的なものか
中世対外史研究でいやというほど知ってる。
(むずかしくて自分では研究できないが)
懐風藻も、大友皇子にはじまり大津皇子、
長屋王まで、歴史の敗者の言葉にあふれる。
辰巳正明VER解説によるなら、大仏開眼の
大事業の直前、それに背を向けて、ひたすら
過去先例に学んで編纂されたのだという。
だから、懐風は「歴史」、藻は「文書群」という
ことになるらしい。いいなあ。
「なんで歴史をまなぶのですか?」
「それは懐風です。滅びた人々の藻を聴きましょう
なんて恣意的な過去の切り取りなのか!*懐風
私の場合は神風の藻を聴きます」 物騒だ 。
最後の日本史概説はこれで行こう。
「君たち、懐風藻って知ってますか?名前知ってる
だけでしょう。それが高校までの日本史ですね。
テキストのp 見てください(清水の日本史探究)」
これが名前すら知らなかったりするから怖いね。
日本史の2次試験がない大学は笑
来年の歴史の味方・考え方は懐風藻と壬申の乱
懸けようか… あれば
*きっと、そうゆうふうに文化を見てはいかん!
と怒る老鰻出てくるのかも。もう私以上の
ロウマンなんかいないか。