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明日12日は仲秋名月 13日は再び十三日講です。

「十三日講事件」読み直してくれましたか?
ところは矢野荘(兵庫県相生市)。2/13宵待ち講の宴席にて惣指導者の実円が右近男を殴りつけた。臨席の住民は「藤内三郎(右近)が悪口の上に抜刀したから輔房殿(実円)が鎮圧したのだ」と証言したが…。領主権力はこの事件を口実に実円の処罰追放と惣自治への大弾圧を開始した。その顛末は日本中世を揺るがす永和の惣荘土一揆に発展していく。(ちなみに最新の櫻井彦説では十三日講は大酒神の本地13仏に因む講座。乱闘になるわけだ?)

ボケていて応安2年(1368)3月の東寺百合文書ム函・学衆方評定引付(応安2)でした。相生市史7のp135~。佐藤和彦氏の『南北朝内乱史論』の1章のほうでした(初出はあの「民衆史研究」9号10号)。「中世民衆の闘いの跡を日常生活の深みの中から明らかにするのだ」、と語った佐藤氏に対して、「問題の建て方が逆だろう」と批判したのが千々和到氏だ。私のゼミで常に中心課題の<起請文の使い方にみる民衆世界>を初めて問題にした中世社会史の創始者の一人(東京大学出版会の『一揆』4の千々和論文を読んでいないゼミ生はわが惣国にはいないはず。坂本亮太元ゼミ長の師匠でもある)。思えば、10月2日の悪党研究会は佐藤和彦人民闘争時代(1970年ピーク)と1980年代~社会史との正面衝突なのかもしれない。(おそらく藤木久志氏はこのような位置付けしたら激怒されるだろう)。
昨晩引付通覧していて矢野荘って新田問題が引付レベルにも出てくるのですね。これは何か。「飢饉と闘争」南部荘で反論しようと研究してたが案外矢野荘でもいけるかもしれない。ゼミ生誰か矢野荘新田問題やってみないか。

応安2年(1369)3月7日 主席者・弘雅ほか8人略
一 矢野荘百姓輔房実円、於講座<号十三日講>打擲刃傷右近允男之由、給主代祐尊並田所代秀恵注進之事、沙汰人等注進之上者、罪科之段、可有其沙汰、収公名田、可追放其身之旨、可加下知☆   
一 彼十三日講濫觴事、為百姓等傲々張行、執行之云々、其分太以不可然、可停止之(傲は人偏でなく口偏に)
以下はこのボケ写真にて目を凝らして
110911_0741~01十三日講

 領主側の議事録に書き残された「この小さな事件」にいったいいかなる背景があったか。矢野荘土一揆の真相に迫る。1980年代の中世史学はこの謎解きに熱中していた。
13日は午後からサテライト「絵解き」打ち合わせで大学に行きます。今度こそ紀州惣国十三日講に付き合いませんか?関係史料をよみましょう。ただし酒入ったら「悪口」やら「抜刀」やらはご遠慮ください。ここで歴史の再現劇やったら洒落にならん。そういえば私の赴任以前はゼミ室は禁酒だったそうですね。
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