承前中澤克昭『狩猟と権力』の問題意識
前回は永井宏正論文の宣伝になってしまったので。
第13章「村の狩猟とその継承」は、小林・則竹編
『戦争Ⅰ』収録の「村の武力とその再生産」2004。
「大幅に改稿。」としている。
再生産から継承へ 村の理解はどのように進化したか。
書評をする際の常道で新旧の対比変化をみて、
著者の歴史認識の変容をうかがう。もちろん時間
ないので狩猟権力総体でなく、今回は村の戦争の
小さな窓からだが。ちなみに戦争論Ⅰは著者・編者
+久保健・橋口5氏から頂いたのでそこだけ熟読してた。
中澤氏が論証上でキーとしている挙証史料は以下。
①看聞日記 永享伏見7人の侍事件
②看聞日記 市原野坂迎
3⃣看聞日記御香宮秋祭礼渡御
4⃣肥後和雄民俗事例ABCD
⑤看聞日記 貞成邸 の小弓会・百手
⑥例3旅引付 号鹿狩り動員
⑦千葉徳爾民俗事例EFGH
⑧その2看聞日記 伏見の鹿狩り
⑨その3山科七郷七郷狩
勝負どころの史料数としては過不足がない。
子の切り札をどのように配置するかが論文の
歴史認識の根幹をなすが、初出と著書の対比は以下。
初出2004 23p 著書2022 19p
はじめに ①② はじめに
一 村の武器と身体 1 狩猟と合戦 ➁⑧⑨⑥
1神事と武器 3⃣ 2 民俗のなかの村の狩猟 ⑦①
2村の武力の身体論 3 村の武器と身体ー継承の契機 3⃣
二 村の相撲 4 村の相撲
三 村の弓矢神事 5 村の弓矢神事 ④⑤薗部新説批判
1 歩射論の反省と有効性 4⃣ おわりに 清水説補充
2 百手を射る地下侍 ⑤
四 村の狩猟
1 村の狩猟をみる目 ⑥
2 合戦の作法と狩猟の習俗 ⑦
おわりに
初出2004年以後の新稿や著書再録データをきちんと
踏まえている。初出に見られない民俗関係論者は
著書の別箇所に移動したものと思われ(未解析)、
旧稿になかった薗部寿樹・清水克行・上横手雅敬ら
の論文が補填された。
全体に見て、使用史料の位置づけに変化はなく、
基本的に著者の主張に変化は見られない。つまり
自力の村の武力内容の研究が弱いという研究史上の
問題指摘と、上部権力に学んだわけでない狩猟慣行
からの村落武力という結論は不動である。(この場合
旧稿の合戦作法と狩猟習俗が削除解消された所の
評価が問題となるが。結論は変わっていないp340*)
もちろん、藤木説との距離感も(この論文に関する限り)
変化が見られない。 「大幅に改稿」する、必要が
どこにあったのか。というのは、おそらく権力の狩猟を
視点に据えた本書の構想にかかわるのだろう。
その点については特段の感想をもたない。まさに大切な問題なのであろう。
*村の実力行使作法は幕府や守護から学ばなくても、村々の狩猟習俗の中にあった。
i以前、私も「つわものの道」批判をして村の
戦功確認作法の成立は武家とは別系列
(村が先行)と論証した。それだけに幕府守護と
無関係という中澤説には注目していた。
どれだけ大きく改稿され発展してるのかと。
もし私に書評させたら、木を見て森を見ず、
1章だけ針小棒大に批判する老害の老鰻
とされることpだろう。
第13章「村の狩猟とその継承」は、小林・則竹編
『戦争Ⅰ』収録の「村の武力とその再生産」2004。
「大幅に改稿。」としている。
再生産から継承へ 村の理解はどのように進化したか。
書評をする際の常道で新旧の対比変化をみて、
著者の歴史認識の変容をうかがう。もちろん時間
ないので狩猟権力総体でなく、今回は村の戦争の
小さな窓からだが。ちなみに戦争論Ⅰは著者・編者
+久保健・橋口5氏から頂いたのでそこだけ熟読してた。
中澤氏が論証上でキーとしている挙証史料は以下。
①看聞日記 永享伏見7人の侍事件
②看聞日記 市原野坂迎
3⃣看聞日記御香宮秋祭礼渡御
4⃣肥後和雄民俗事例ABCD
⑤看聞日記 貞成邸 の小弓会・百手
⑥例3旅引付 号鹿狩り動員
⑦千葉徳爾民俗事例EFGH
⑧その2看聞日記 伏見の鹿狩り
⑨その3山科七郷七郷狩
勝負どころの史料数としては過不足がない。
子の切り札をどのように配置するかが論文の
歴史認識の根幹をなすが、初出と著書の対比は以下。
初出2004 23p 著書2022 19p
はじめに ①② はじめに
一 村の武器と身体 1 狩猟と合戦 ➁⑧⑨⑥
1神事と武器 3⃣ 2 民俗のなかの村の狩猟 ⑦①
2村の武力の身体論 3 村の武器と身体ー継承の契機 3⃣
二 村の相撲 4 村の相撲
三 村の弓矢神事 5 村の弓矢神事 ④⑤薗部新説批判
1 歩射論の反省と有効性 4⃣ おわりに 清水説補充
2 百手を射る地下侍 ⑤
四 村の狩猟
1 村の狩猟をみる目 ⑥
2 合戦の作法と狩猟の習俗 ⑦
おわりに
初出2004年以後の新稿や著書再録データをきちんと
踏まえている。初出に見られない民俗関係論者は
著書の別箇所に移動したものと思われ(未解析)、
旧稿になかった薗部寿樹・清水克行・上横手雅敬ら
の論文が補填された。
全体に見て、使用史料の位置づけに変化はなく、
基本的に著者の主張に変化は見られない。つまり
自力の村の武力内容の研究が弱いという研究史上の
問題指摘と、上部権力に学んだわけでない狩猟慣行
からの村落武力という結論は不動である。(この場合
旧稿の合戦作法と狩猟習俗が削除解消された所の
評価が問題となるが。結論は変わっていないp340*)
もちろん、藤木説との距離感も(この論文に関する限り)
変化が見られない。 「大幅に改稿」する、必要が
どこにあったのか。というのは、おそらく権力の狩猟を
視点に据えた本書の構想にかかわるのだろう。
その点については特段の感想をもたない。まさに大切な問題なのであろう。
*村の実力行使作法は幕府や守護から学ばなくても、村々の狩猟習俗の中にあった。
i以前、私も「つわものの道」批判をして村の
戦功確認作法の成立は武家とは別系列
(村が先行)と論証した。それだけに幕府守護と
無関係という中澤説には注目していた。
どれだけ大きく改稿され発展してるのかと。
もし私に書評させたら、木を見て森を見ず、
1章だけ針小棒大に批判する老害の老鰻
とされることpだろう。
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