石井進の思い出 根来寺挽歌
根来寺問題(第一次・湯屋)の時に、木村英一氏の
助成を得た話を書いた。佐武伊賀は、要所を大橋さんに
読んでもらった(これは編著に明記)。
もう昔の話なのでよろしいかと思うが、歴史学が真に
社会に立ち向かっていた変革期にはこうした面替えは
当然の如く盛行した。石井進さんが某城の保存運動の
シンポジウム出演し、その後にその記録集が出た時
主担当城郭プロが代筆した。(完全代筆だったらしい)。
「石井進で倒れたら歴史科学運動が敗北する。」
この話は後日談があり、晩年の石井進がミニ
論文集(著書)を編んだ時にこれも自著として収録した。
さすがに原著者がオイオイと愚痴ってるのを聞かされた。
私も気を付けよう、これとこれはT論文、これは鎌倉・
木村共著、これは… 遺言のリストに一応明記を
小物は小物成にいろいろ人生があった。和歌山来てよかった。
石井進とは面接試験に落とされるとか若干面識あるが
その場に居合わせた発言で、とても印象深い。
順不同
★「Sさん、ありゃあまずいよ、O荘石造物調査。地元の●さんが怒るよ」
★「(海老澤大会報告後、壇上に駆け上がってきて)良かったですよーだいたいSさんなんか荘園絵図なんて消えないのに長々無駄な議論ばかりして」
(司会の僕が怒られた)S1とS2は別の人です 念のため
和歌山に来てから助けてもらった記憶はない。とおもいきや
★日根荘ゼミ旅行にて根来寺遺跡に
「さあみなさん、これがあの日本一有名な中左近池ですよ!」
(これは言い伝えを聞いた。保存運動時に何回行ったことか
壊れたレコードの如く 証人確認中)
結局、湯屋遺跡はおろか、中左近池を根来寺遺跡と
捉える視座を、寺も町(市)も県も最後まで持ち合わせなかった2023・5/5
助成を得た話を書いた。佐武伊賀は、要所を大橋さんに
読んでもらった(これは編著に明記)。
もう昔の話なのでよろしいかと思うが、歴史学が真に
社会に立ち向かっていた変革期にはこうした面替えは
当然の如く盛行した。石井進さんが某城の保存運動の
シンポジウム出演し、その後にその記録集が出た時
主担当城郭プロが代筆した。(完全代筆だったらしい)。
「石井進で倒れたら歴史科学運動が敗北する。」
この話は後日談があり、晩年の石井進がミニ
論文集(著書)を編んだ時にこれも自著として収録した。
さすがに原著者がオイオイと愚痴ってるのを聞かされた。
私も気を付けよう、これとこれはT論文、これは鎌倉・
木村共著、これは… 遺言のリストに一応明記を
小物は小物成にいろいろ人生があった。和歌山来てよかった。
石井進とは面接試験に落とされるとか若干面識あるが
その場に居合わせた発言で、とても印象深い。
順不同
★「Sさん、ありゃあまずいよ、O荘石造物調査。地元の●さんが怒るよ」
★「(海老澤大会報告後、壇上に駆け上がってきて)良かったですよーだいたいSさんなんか荘園絵図なんて消えないのに長々無駄な議論ばかりして」
(司会の僕が怒られた)S1とS2は別の人です 念のため
和歌山に来てから助けてもらった記憶はない。とおもいきや
★日根荘ゼミ旅行にて根来寺遺跡に
「さあみなさん、これがあの日本一有名な中左近池ですよ!」
(これは言い伝えを聞いた。保存運動時に何回行ったことか
壊れたレコードの如く 証人確認中)
結局、湯屋遺跡はおろか、中左近池を根来寺遺跡と
捉える視座を、寺も町(市)も県も最後まで持ち合わせなかった2023・5/5
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